白川情報館(じょうほうかん)

白川流域(りゅういき) 水防災(みずぼうさい)・水環境(みずかんきょう) フォトラリー
(上流域(じょうりゅういき) 阿蘇(あそ)カルデラ内(ない) 編(へん))


 
          噴煙をあげる阿蘇中岳               航空機から見た阿蘇カルデラ(手前が東、奥が西)

 数々(かずかず)の神話(しんわ)が残(のこ)る神秘的(しんぴてき)な阿蘇地方(あそちほう)。
 阿蘇山(あそさん)は活火山(かつかざん)です。阿蘇中岳(あそなかだけ)は今(いまも)も白(しろ)い噴煙(ふんえん)をあげています。一般(いっぱん)の人々(ひとびと)が、ヘルメットもかぶらず、火口(かこう)を間近(まぢか)に見学(けんがく)できるのは、ここだけです。
 大(おお)きな爆発(ばくはつ)をくりかえし、約(やく)9万年前(まんねんまえ)の大爆発(だいばくはつ)で現在(げんざい)のような大(おお)きなカルデラができたのだそうです。その後(ご)、カルデラには水(みず)がたまり、湖(みずうみ)ができたそうです。
(※カルデラ…スペイン語(ご)だそうで、日本語訳(にほんごやく)をすると『鍋(なべ)』だとか…)
 立野火口瀬(たてのかこうせ)で崩(くず)れて、湖(みずうみ)の水(みず)が流(なが)れ出(だ)し、また噴出(ふきだ)した溶岩(ようがん)でふさがれて湖(みずうみ)ができ、また崩(くず)れて水(みず)が流(なが)れ出(だ)し、その後(ご)、また噴出(ふきだ)した溶岩(ようがん)でふさがれて湖(みずうみ)ができ、また崩(くず)れて・・・。何度(なんど)かそのようなことをくりかえしてきたことが分(わ)かってきたそうです。
 湖(みずうみ)の水(みず)が引(ひ)いた後(あと)の、この世界的(せかいてき)な巨大(きょだい)カルデラ(東西(とうざい)18㎞・南北(なんぼく)25㎞)の中(なか)に人々(ひとびと)が住(す)み始(はじ)め、人々(ひとびと)の歴史(れきし)や文化(ぶんか)・風俗(ふうぞく)が刻(きざ)み込(こ)まれています。人々(ひとびと)の春(はる)を迎(むか)える野焼(のや)きの営(いとな)みによって、人々(ひとびと)の歴史(れきし)より古(ふる)い大陸系(たいりくけい)の植物(しょくぶつ)が今(いま)もなお命(いのち)をつないでいます。
 川(かわ)や水(みず)という視点(してん)で、白川上流域(しらかわじょうりゅういき)の阿蘇(あそ)へ出(で)かけてみられませんか。


<凡例(はんれい)>地名(ちめい)などを表(あらわ)す欄(らん)を次(つぎ)のように色分(いろわ)けしています。

水防災施設(みずぼうさいしせつ) 水源地(すいげんち)・湧水地(ゆうすいち)  滝(たき)  太古(たいこ)の湖(みずうみ)だったころの産物(さんぶつ) 

では、ご案内(あんない)いたしましょう。

 ① 上色見(かみしきみ)熊野(くまの)座(います)神社(じんじゃ)
(P有参道入口 トイレ参道途中有)
② 高森(たかもり)湧水(ゆうすい)トンネル公園(こうえん)
(P有 トイレ有) 
③ 白川水源(しらかわすいげん)・他(ほか)湧水群(ゆうすいぐん) 
(P有 トイレ有)
④ 塩井社水源(しおいしゃすいげん)・塩井神社(しおいじんじゃ)
(P トイレ ) 



 高森町(たかもりまち)中心部(ちゅうしんぶ)より根子岳(ねこだけ)を越(こ)える箱石峠(はこいしとうげ)へ向(む)かう途中(とちゅう)の上色見(かみしきみ)にあります。
 その名(な)の通(とお)り、紀伊山地(きいさんち)の熊野権現(くまのごんげん)の分祀(ぶんし)です。神話(しんわ)イザナミ・イザナギの命(みこと)に加(くわ)えて阿蘇大明神(あそだいみょうじん)の化身(けしん)である石君(いわぎみ)大将軍(たいしょうぐん)を祭神(さいじん)とする由緒(ゆいしょ)ある神社(じんじゃ)です。
 森(もり)と苔(こけ)の深(ふか)い緑(みどり)におおわれた参道(さんどう)と、石段(いしだん)の両(りょう)側(がわ)にある100基(き)ほど並(なら)ぶ灯篭(とうろう)には幽玄(ゆうげん)な雰囲気(ふんいき)があります。
 神殿後方(しんでんこうほう)をさらに登(のぼ)ると、阿蘇神(あそしん)の健磐龍命(たけいわたつのみこと)の従者(じゅうしゃ)鬼八(きはち)が蹴破(けやぶ)ったと言(い)われる縦横(たてよこ)10m以上(いじょう)の大風穴(だいふうけつ)、穿戸岩(うげといわ)があります。
 近年(きんねん)は、パワースポットとして、また『合格(ごうかく)・必勝(ひっしょう)』のご利益(りやく)があると評判(ひょうばん)になっています
。
 

 旧国鉄高森線(きゅうこくてつたかもりせん)と宮崎県側(みやざきけんがわ)の高千穂線(たかちほせん)を結(むす)ぶ工事(こうじ)が、昭和(しょうわ)48(1973)年12月から行われていて、昭和(しょうわ)50年2月、トンネル工事(こうじ)で突然(とつぜん)大量(たいりょう)の出水(しゅっすい)に見舞(みま)われたそうです。その後(ご)も何度(なんど)も出水事故(しゅっすいじこ)が発生(はっせい)して、トンネル工事(こうじ)は中止(ちゅうし)となりました。
 トンネルの長(なが)さは、2055mもあります。中央(ちゅうおう)に水路(すいろ)があり、両側(りょうがわ)には遊歩道(ゆうほどう)が作(つく)られています。常時(じょうじ)、毎分(まいふん)32tの湧水(ゆうすい)が噴(ふ)き出(だ)しています。今(いま)は高森町(たかもりまち)の貴重(きちょう)な水源地(すいげんち)となっています。
 トンネル内(ない)は、夏(なつ)は涼(すず)しく、冬(ふゆ)は暖(あたた)かいです。さまざまな行事(ぎょうじ)が行(おこな)われたり、水(みず)が逆(さか)さに上(のぼ)っていくように見(み)える仕掛(しか)け噴水(ふんすい)「ウォーターパール」も作(つく)られています。






 南阿蘇(みなみあそ)は、湧水(ゆうすい)が豊富(ほうふ)です。その湧水(ゆうすい)の代名詞(だいめいし)とも言(い)える水源(すいげん)がこの『白川水源(しらかわすいげん)』です。
 常時(じょうじ)14℃(ど)、毎分(まいふん)60トンもの地下水(ちかすい)が地底(ちてい)の砂(すな)とともに湧(わ)き上(あ)がり、とうとうと流(なが)れる水音(みずおと)が、木々(きぎ)の間(あいだ)に響(ひび)いています。昭和(しょうわ)61(1985)年に環境庁(かんきょうちょう)(現(げん)環境省(かんきょうしょう))の日本(にほん)の『名水百選(めいすいひゃくせん)』にも選(えら)ばれました。
 以前(いぜん)はここが白川(しらかわ)の源流(げんりゅう)だとかんがえられていました。
 この水(みず)が田畑(たはた)を潤(うるお)し、豊穣(ほうじょう)の恵(めぐ)みをもたらしています。
 水源地(すいげんち)にある白川吉見神社(しらかわよしみじんじゃ)は、阿蘇神社(あそじんじゃ)の末社(まっしゃ)で、水源(すいげん)の守護神(しゅごしん)として祀(まつ)られ、また水源(すいげん)のすぐほとりには水神様(すいじんさま)も祀(まつ)られていて、地域(ちいき)の氏神様(うじがみさま)として親(した)しまれています。夏祭(なつまつ)りや神楽(かぐら)、宮相撲(みやずもう)なども伝承(でんしょう)されています。
 南阿蘇村(みなみあそむら)には、白川水源(しらかわすいげん)から西(にし)へ、明神池名水公園(みょうじんいけめいすいこうえん)、竹崎水源(たけざきすいげん)、小池水源(おいけすいげん)、吉田城御献上汲場(よしだじょうごけんじょうくみば)、妙見神社(みょうけんじんじゃ)の池(いけ)、池(いけ)の川(かわ)水源(すいげん)、川地後水源(かわじごすいげん)、寺坂水源(てらさか)、湧沢津水源(わきさわづすいげん)、そして塩井社水源(しおいしゃすいげん)と12カ所(しょ)もの地域(ちいき)の人々(ひとびと)に親(した)しまれてきた水源(すいげん)があります。





 塩井神社(しおいじんじゃ)の境内(けいだい)に、青(あお)く深(ふか)く、水底(みずぞこ)だけがゆらゆらとゆれる湧水池(ゆうすいち)があります。
 ここから流(なが)れ出(で)る水(みず)は、東(ひがし)へ向(む)かって流(なが)れます。南阿蘇(みなみあそ)の湧水(ゆうすい)ではただ一(ひと)つだそうで、『のんぼり川』と呼(よ)ばれるそうです。生活用水(せいかつようすい)や農業用水(のうぎょうようすい)に使(つか)われてきました。
 冷(つめ)たくほんのり甘(あま)さを感(かん)じるようなやわらかい口(くち)あたりから『女水(おんなみず)』と呼(よ)ばれるほどで、不老長寿(ふろうちょうじゅ)の神水(じんすい)と古(ふる)くから尊(とうと)ばれてきたそうです。
 ところが、平成(へいせい)28(2016)年(ねん)の熊本地震(くまもとじしん)により湧水(ゆうすい)が止(と)まってしまいました。
 水路(すいろ)も干上(ひあ)がってしまい、近所(きんじょ)の農家(のうか)の方(かた)は田(た)に水(みず)がひけず、米作(こめづく)りができなくなってしまいました。
 それから2年(ねん)の月日(つきひ)が過(す)ぎ、平成(へいせい)30(2018)年(ねん)7月(がつ)に再(ふたた)び水(みず)が湧(わ)き出(だ)すようになり、復活(ふっかつ)しました。水位(すいい)は元(もと)のようにはもどっていないようですが、青(あお)く透(す)き通(とお)ったやわらかい水(みず)が湧(わ)き出(だ)しているそうです。

 水源(すいげん)の横(よこ)には、水神様(すいじんさま)として塩井神社(しおいじんじゃ)が祀(まつ)られています。熊本地震(くまもとじしん)で鳥居(とりい)も折(お)れ、拝殿(はいでん)も崩(くず)れ落(お)ちてしまいました。
地域(ちいき)のみなさんにより大切(たいせつ)に守(まも)られています。



 ⑤ 久木野層(くぎのそう)
(湖があったことがわかる地層)
(Pなし トイレなし)
⑥ 鮎返(あゆがえ)りの滝(たき)
(現在行けません・阿蘇大橋から眺望を) 
⑦ 立野(たての)ダム 
(展望所P有 トイレなし)
⑧ 数鹿流ヶ滝(すがるがたき)
(P数鹿流崩れへ トイレなし ) 



 南阿蘇村(みなみあそむら)の旧久木野村(きゅうくぎのむら)から旧長陽村立野(きゅうちょうようそんたての)にかけて、白川(しらかわ)や冠出川沿(かんむりでがわぞ)いに見(み)える地層(ちそう)です。
 この地層(ちそう)は、泥岩(でいがん)からできていて、『久木野層(くぎのそう)』と名付(なづ)けられています。厚(あつ)さが50mもあり、湖(みずうみ)や沼(ぬま)でできる堆積物(たいせきぶつ)です。
 約(やく)9万年前(まんねんまえ)の巨大(きょだい)な阿蘇(あそ)カルデラができた直後(ちょくご)にたまった水(みず)による堆積物(たいせきぶつ)ではなく、一度(いちど)、立野(たての)の火口瀬(かこうせ)が開(ひら)き、その後(ご)、阿蘇五岳(あそごがく)のどこか近(ちか)くから流(なが)れ出(で)た溶岩(ようがん)によってせき止(と)められて湖(みずうみ)ができ、そのころにできた地層(ちそう)だと考(かんが)えられています。
このせき止(と)めた溶岩(ようがん)は、栃ノ木溶岩(とちのきようがん)(約7万3千年前)と立野溶岩(たてのようがん)だと考(かんが)えられています。地層(ちそう)の重(かさ)なり具合(ぐあい)からそう考(かんが)えられるそうです。
 立野溶岩(たてのようがん)の柱状節理(ちゅうじょうせつり)(溶岩(ようがん)が冷(ひ)えて固(かた)まるときにできる柱状(はしらじょう)の割(わ)れ目(め))は、長陽大橋(ちょうようおおはし)を渡(わた)る際(さい)に眼下(がんか)にみえています。また、立野(たての)ダムが完成(かんせい)すると、みごとな柱状節理(ちゅうじょうせつり)のすぐ近(ちか)くまでいって観察(かんさつ)することができるそうです。厚(あつ)さ80~100mもあります。
立野溶岩の柱状節理




 
 立野(たての)から長陽大橋(ちょうようおおはし)を過(す)ぎて南阿蘇(みなみあそ)へ入(はい)ろうとすると、白川本流(しらかわほんりゅう)で唯一(ゆいいつ)の滝(たき)、『鮎返(あゆがえ)りの滝(たき)』がちらっと見(み)えます。落差(らくさ)40mもある滝(たき)です。
 熊本地震(くまもとじしん)により道路(どうろ)がこわれているため、まだ滝(たき)つぼ近(ちか)くへ下(お)りることができません。戸下温泉(としたおんせん)が営業(えいぎょう)されていたころは、滝(たき)のすぐ近(ちか)くまでおりて滝(たき)を見上(みあ)げることができました。
 これから上流(じょうりゅう)へはさすがの鮎(あゆ)も登(のぼ)れなくて引(ひ)き返(かえ)したという言(い)い伝(つた)えから名前(なまえ)がついたと言(い)われています。
 この滝(たき)は、溶岩(ようがん)の上(うえ)から水(みず)が落(お)ちてきます。この溶岩(ようがん)は、『鮎返(あゆがえ)りの滝(たき)溶岩(ようがん)』と名付(なづ)けられていて、約(やく)9万年前(まんねんまえ)の巨大噴火(きょだいふんか)のあとできたカルデラの中央(ちゅうおう)に、今(いま)の中岳(なかだけ)や高岳(たかだけ)のような火山(かざん)がせりあがってきた時(とき)の活動(かつどう)による溶岩(ようがん)だそうで、巨大(きょだい)カルデラができた後(あと)のもっとも古(ふる)い溶岩(ようがん)だと考(かんが)えられているそうです。白川(しらかわ)の流れのおかげでこのような溶岩(ようがん)の姿(すがた)をみることができます。
 鮎返(あゆがえ)りの滝(たき)・鮎帰(あゆかえ)りの滝(たき)という名前(なまえ)の滝(たき)が、長崎県南島原市(ながさきけんみなみしまばらし)、福岡県糟屋郡宇美町(ふくおかけんかすやぐんうみちょう)や鳥取県(とっとりけん)や香川県(かがわけん)にもあるようです。







 立野(たての)ダムは、白川沿川(しらかわえんせん)の洪水被害(こうずいひがい)を防(ふせ)ぐことを目的(もくてき)とした洪水調整専用(こうずいちょうせいせんよう)ダム(流水型(りゅうすいがた)ダム)です。(※流水型ダム…洪水調節(こうずいちょうせつ)のみを目的(もくてき)とするダムで、現在(げんざい)の白川(しらかわ)の水位(すいい)とほぼ同(おな)じ高(たか)さに水(みず)を通(とお)す穴(あな)があり、大雨(おおあめ)の時(とき)だけ水(みず)をためます。)
 降(ふ)った雨(あめ)が白川(しらかわ)に流(なが)れ込(こ)む面積(めんせき)のなんと約(やく)80%が阿蘇(あそ)カルデラ内(ない)がしめています。また阿蘇地方(あそちほう)の降水量(こうすいりょう)は、年間(ねんかん)約(やく)3,300mmで全国平均(ぜんこくへいきん)の2倍以上(ばいいじょう)です。白川(しらかわ)は大雨(おおあめ)によりたびたび洪水被害(こうずいひがい)を出(だ)しています。立野(たての)より下流(かりゅう)の地域(ちいき)の人々(ひとびと)の命(いのち)や財産(ざいさん)を守(まも)るために立野(たての)ダムは建設中(けんせつちゅう)です。本体工事(ほんたいこうじ)も始(はじ)まり、2022年度中(ねんどちゅう)に完成予定(かんせいよてい)です。
 ダム建設現場(けんせつげんば)が阿蘇国立公園内(あそこくりつこうえんない)ということもあり、景観(けいかん)や環境(かんきょう)に配慮(はいりょ)した工事(こうじ)を行(おこな)っています。ダムサイトにはもともと立野(たての)に生(は)えていた植物(しょくぶつ)の種(たね)や幼木(ようぼく)を育(そだ)てて植樹(しょくじゅ)したり、環境調査(かんきょうちょうさ)を随時実施(ずいじじっし)したり、柱状節理(ちゅうじょうせつり)の露頭(ろとう)をそのまま残(のこ)したり、工事(こうじ)に使(つか)う建設機械(けんせつきかい)の燃料(ねんりょう)の一部(いちぶ)には家庭(かてい)から出(で)た廃食用油(はいしょくようあぶら)を回収(かいしゅう)して作(つく)られたバイオディーゼル燃料(ねんりょう)を使(つか)ったりしています。
 また、南阿蘇(みなみあそ)の自然環境(しぜんかんきょう)を連動(れんどう)させたインフラツアーの開発(かいはつ)や、阿蘇(あそ)ジオパーク推進協議会(すいしんきょうぎかい)と連携(れんけい)したガイドの育成(いくせい)、南阿蘇鉄道(みなみあそてつどう)沿線復興(えんせんふっこう)ツアーなどに取(と)り組(く)み、ダム完成後(かんせいご)も柱状節理(ちゅうじょうせつり)や噴出年代(ふんしゅつねんだい)の異(こと)なる溶岩(ようがん)を間近(まぢか)で観察(かんさつ)できるようになります。

 旧立野小学校(きゅうたてのしょうがっこう)には、「あそ立野(たての)ダム広報室(こうほうしつ)」もオープンして、ダムの模型(もけい)やVRやその他(ほか)の展示物(てんじぶつ)など整備(せいび)されていますので、是非(ぜひ)お立(た)ち寄(よ)りください。またすぐ近(ちか)くに立野渓谷(たてのけいこく)と南阿蘇鉄道(みなみあそてつどう)の鉄橋(てっきょう)と北向谷原始林(きたむきだにげんしりん)とを背景(はいけい)に写真(しゃしん)が撮(と)れる立野(たての)ダム展望所(てんぼうしょ)もあります。




         20年前の数鹿流ヶ滝

 阿蘇谷側(あそだにがわ)をゆったり流(なが)れてきた黒川(くろかわ)は、赤水(あかみず)を過(す)ぎたあたりから、急(きゅう)こう配(ばい)を一気(いっき)にくだってきます。そしてこの数鹿流ヶ滝(すがるがたき)からどっと落(お)ち、長陽大橋(ちょうようおおはし)の下(した)で白川(しらかわ)と合流(ごうりゅう)します。
 数鹿流ヶ滝(すがるがたき)は、落差(らくさ)60m、幅(はば)20mあり、日本(にっぽん)の滝(たき)百選(ひゃくせん)にも選(えら)ばれています。
 名前(なまえ)の由来(ゆらい)については諸説(しょせつ)あるようですが、平安時代(へいあんじだい)、春(はる)に阿蘇大宮司(あそだいぐうじ)の主催(しゅさい)で、下野(しもの)(現在(げんざい)の赤水一帯(あかみずいったい))にたくさんの人々(ひとびと)があつまって、日本最古(にほんさいこ)と言(い)われる巻狩(まきが)りが行(おこな)われていたそうです。
(源頼朝(みなもとのよりとも)が鎌倉(かまくら)に幕府(ばくふ)を開(ひら)き、富士野(ふじの)で巻狩(まきが)りをする際(さい)にこの阿蘇(あそ)の巻狩(まきが)りへ人(ひと)を派遣(はけん)して学(まな)ばせたそうな…)その際(さい)、数頭(すうとう)の鹿(しか)が断崖(だんがい)においつめられて滑落(かつらく)したことから、『数鹿流ヶ滝(すがるがたき)』と名付(なづ)けられたというのが有力(ゆうりょく)です。
 熊本地震前(くまもとじしんまえ)は阿蘇大橋(あそおおはし)を南阿蘇方面(みなみあそほうめん)へ渡(わた)る際(さい)にきれいに見(み)えていましたが、土砂(どしゃ)や木々(きぎ)などにも邪魔(じゃま)されて見(み)ることができません。また、滝見学通路(たきけんがくつうろ)も今(いま)はまだ交通止(こうつうど)めが続(つづ)いています。地震(じしん)で崩落(ほうらく)した現場(げんば)は整備(せいび)され、大(おお)きな駐車場(ちゅうしゃじょう)もできましたので、滝見学通路(たきけんがくつうろ)が整備(せいび)されればまた雄姿(ゆうし)をみることができるでしょう。
 上(うえ)の滝(たき)の写真(しゃしん)は、白川地域防災(しらかわちいきぼうさい)センター(通称(つうしょう)白川(しらかわ)わくわくランド)が完成(かんせい)した時(とき)に展示(てんじ)された写真(しゃしん)です。


 熊本地震で崩落した現場は整備されて記念碑が立っています。



 ⑨ 的石御茶屋跡(まといしおちゃやあと)・隼鷹神社(はやたかじんじゃ)
(P有 トイレ有)
⑩ リモナイト鉱山(こうざん)
(P有 トイレ有 見学許可要) 
⑪ 内牧遊水地(うちのまきゆうすいち) 
(P有 トイレ有)
⑫ 小嵐山堰(しょうらんざんせき)
(P有 トイレ小嵐山公園 ) 



 豊後街道(ぶんごかいどう)が整備され、熊本から約8里(約32㎞)の場所にあります。このあたりの地名は、的石(まといし)といいます。殿様の参勤交代の折の休憩所(御茶屋)もありました。
 隼鷹天満宮の回りでは地下から水がこんこんと湧き出ています。大分方面へ向かう人々は、難所である二重峠を下りてやっとホッとし、熊本へ向かう人々はこれから難所へ向かう前に清涼水を求めたことでしょう。



         掘り出される「阿蘇黄土」

      鉄分の沈殿により川底が黄土色になる

 阿蘇町(あそまち)萱原(かやばる)付近に『日本リモナイト鉱業』があります。ここは大昔、阿蘇谷が湖だったころに湖の底にたまった沼鉄鉱を掘り出している鉱山です。「阿蘇黄土(あそおうど)」と呼ばれる鉄分(褐鉄鉱:リモナイト)が多く含まれる地層があります。地下から湧き出した鉄分を含む熱水や温泉水が、カルデラが湖だった時代の水とまじることによって沈殿したと考えられています。現在も自然に生まれ続けているのだそうです。
 先の太平洋戦争の頃には製鉄のための鉱石として、その後は、塗料やベンガラ、陶器の釉薬などに使われて需要が高かったそうです。
 現在は、脱硫剤(硫化水素を吸収してにおいを消す)として、下水処理場や畜産関係に広く利用されています。東京都の下水処理場に使用される脱硫剤は100%、ここのリモナイトだそうです。有機物を含むので、畜産用飼料にもなるのだそうです。おまけに糞もにおわないので一石二鳥です。



     芝生公園の先に乗り越し提が見える

       たまった水を黒川へもどす樋門

 阿蘇地方を襲った1990(平成2)年の大水害から水害対策として整備されました。
 通常は、公園として使われています。広大な芝生広場ではサッカーやさんぽを楽しむことができますし、大きなイベントが近くであるときには駐車場としても使用されます。黒川右岸の乗り越し提ととんがり屋根の大きな樋門(ひもん)が見えています。
 また、阿蘇草原保全活動センター(環境省)側の遊水池は、水生動植物の宝庫となり、野鳥の群れもやってきて、生物多様性など自然観察・環境学習の場にもなっています。またこの豊かな自然は世界農業遺産の認定要素にもなっています。




 黒川に作られた小嵐山堰は熊本県が管理しています。小嵐山というのは、この堰のすぐ北側にある小高い丘の名前で、阿蘇大宮司惟治が「月花にあわれ嵯峨野の面影をうつすやここの小嵐の山」と歌を詠み、京都の嵐山に山の姿がにているところから名付けられたそうです。堰の横にかかる橋も木橋だったので、雰囲気はとても似ていたと思います。
 このあたりの黒川は、鹿漬川(しつけがわ)と呼ばれていました。阿蘇大宮司(あそだいぐうじ)は、下野(しもの)の巻狩(まきが)りで獲れた鹿や猪の肉をこのあたりの黒川の水に漬け込み血抜きをして、国造神社(こくぞうじんじゃ)の鯰社(なまずしゃ)へ奉納する習わしがあったのだそうです。
 すぐ近くには阿蘇家代々の中通古墳群(なかどおりこふんぐん)があります。
 ここの堰のはじまりは、加藤清正公が鹿漬堰(しつけぜき)を作り、小野田井手(おのだいで)(1596~1614年)を開削(かいさく)して阿蘇谷の治水利水を図ったところでもあります。
 京都の嵐山に似た景色と、生贄(いけにえ)としての肉を漬けた川と清正公の治水利水工事、様々な姿をもった場所です。



 ⑬  小倉(おぐら)・手野遊水地(てのゆうすいち)
(Pなし トイレなし・国造神社へ)
⑭ 国造神社(こくぞうじんじゃ)・鯰社(なまずしゃ)
(P有 トイレ有) 
⑮ 役犬原湧水群(やくいんばるゆうすいぐん) 
(P有 トイレなし)
⑯ 阿蘇神社(あそじんじゃ)・宮地湧水群(みやじゆうすいぐん)
(P有 トイレ有 ) 

         小倉遊水地

            手野遊水地

 度重(たびかさ)なる黒川(くろかわ)の水害被害(すいがいひがい)により、黒川(くろかわ)の整備計画(せいびけいかく)が立てられました。黒川遊水地群(くろかわゆうすいちぐん)と呼(よ)ばれる、車帰(くるまがえり)・無田(むた)・跡ヶ瀬(あとがせ)・小野(この)・内牧(うちのまき)・小倉(おぐら)・手野(ての)の7カ所(しょ)に、増水時(ぞうすいじ)に水(みず)をためる遊水地(ゆうすいち)です。
2012年の九州北部豪雨災害(きゅうしゅうほくぶごううさいがい)の後(あと)は、国(くに)の激甚災害対策特別緊急事業(げきじんさいがいたいさくとくべつきんきゅうじぎょう)にも採択(さいたく)されて、工事(こうじ)が進(すす)みました。
 この中(なか)で、最大(さいだい)の遊水地(ゆうすいち)が小倉遊水地(おぐらゆうすいち)で、88haもあり、水(みず)を265万(まん)㎥(りっぽうめーとる)ためることができます。いざという折(おり)には、水田(すいでん)も借(か)りて水(みず)をためられるよう、水田(すいでん)をぐるっと堤防(ていぼう)で囲(かこ)んであります。
 手野遊水地(てのゆうすいち)は65haあります。

 遊水地(ゆうすいち)の近(ちか)くでは、輪中堤(わじゅうてい)の嵩上(かさあ)げ、宅地(たくち)の嵩上(かさあ)げ、黒川(くろかわ)とその支流(しりゅう)の堤防(ていぼう)の嵩上(かさあ)げと道路(どうろ)の嵩上(かさあ)げが行(おこな)われて、水害被害(すいがいひがい)の防止(ぼうし)に努(つと)めています。また黒川(くろかわ)の断面積(だんめんせき)を広(ひろ)げ、石積(いしづ)みにする改修工事(かいしゅうこうじ)も進(すす)んでいます。
 近年(きんねん)は、豪雨(ごうう)が増(ふ)えていて、整備(せいび)計画(けいかく)も変更(へんこう)されて、各遊水地(かくゆうすいち)の面積(めんせき)を増(ふ)やして水害(すいがい)を防(ふせ)ぐ努力(どりょく)がされています。
 その他(ほか)、一(いち)の宮町(みやまち)坂梨(さかなし)には、流木(りゅうぼく)を防(ふせ)ぐ貯木場(ちょぼくじょう)も作(つく)られています。また新(あら)たに黒川遊水地(くろかわゆうすいち)が40ha増設(ぞうせつ)されています。

  


           国造神社の参道

          ナマズが祀ってある鯰社
 国造神社(こくぞうじんじゃ)がある手野集落(てのしゅうらく)は、阿蘇の中でも特に水に恵まれた地域で、近くには『手野の名水』や『宮川渓谷(みやがわけいこく)』などがあります。
 国造神社(こくぞうじんじゃ)は、熊本でも古い神社の一つで、阿蘇神社の北に位置するため『北宮』とも呼ばれます。阿蘇の開拓神(かいたくしん)健磐龍命(たけいわたつのみこと)の第一子である
速瓶玉命(はやみかたまのみこと)他が祭られています。阿蘇の開拓に尽くし、牛馬を育て田畑に水を引き、農業を起こしたと伝えられており、農業の神様、五穀豊穣の神様として信仰されています。
 境内には、手野の大杉とともに、鯰を祭った社があり、健磐龍命の阿蘇開拓時の大鯰伝説とともに皮膚炎の神様として祭られています。
 阿蘇神社の春の下野の狩りで獲れたものを阿蘇大宮司が献上していたそうです。





 阿蘇五岳(あそごがく)や東部外輪山(とうぶがいりんざん)内側(うちがわ)に降(ふ)った雨(あめ)が涵養(かんよう)されて、いたるところで地下水(ちかすい)が地表(ちひょう)より高(たか)くまで湧(わ)き上(あ)がる湧水(ゆうすい)(自噴水(じふんすい))がみられます。地下深(ちかふか)くまで浸透(しんとう)し、圧力(あつりょく)の高(たか)い地下水(ちかすい)として噴(ふ)き出(だ)しています。自噴水(じふんすい)の高(たか)さは最大(さいだい)2mにもなり、地元(じもと)では古(ふる)くから、生活用水(せいかつようすい)や農業用水(のうぎょうようすい)として利用(りよう)されています。


 『役犬原(やくいんばる)』というめずらしい地名(ちめい)ですが、古来(こらい)から阿蘇地方(あそちほう)の武家(ぶけ)の頭領(とうりょう)である阿蘇大宮司(あそだいぐうじ)が春(はる)に下野(しもの)(現在の赤水一帯)の巻狩(まきが)りを代々(だいだい)行(おこな)ってきたそうですが、その巻狩(まきが)りに活躍(かつやく)する犬(いぬ)たちの飼育(しいく)を担当(たんとう)している人(ひと)たちが住(す)んでいた場所(ばしょ)だったことから、こういう地名(ちめい)になったらしいです。



 阿蘇神社は肥後一の宮として大切にされています。末社は県内に300社を超えています。阿蘇開拓の神健磐龍命(たけいわたつのみこと)を主神として12神が祭られています。阿蘇神社の信仰はもともと阿蘇中岳の火口の池に思いを寄せていたそうです。この場所に神社が移った時期ははっきりしません。
 社殿並びに2層の屋根をもつ楼門(ろうもん)は国重要文化財でしたが、平成28年熊本地震により倒壊しました。現在復元工事が行われています。
 阿蘇神社の周辺は、宮地湧水群(みやじゆうすいぐん)として水の豊かなところです。阿蘇五岳に降った雨が地下へしみこみ、このあたりで湧き出ています。農業を行うのに水に困ることはなかったでしょう。現在、神社の門前町商店街では湧水を『水基(みずき)めぐり』と呼んで街づくりに活用され、観光地として人々に親しまれています。



⑰ 古閑(こが)の滝(たき)
(P有 トイレ登り口に有) 

  
 駐車場(ちゅうしゃじょう)から歩(ある)いて木立(こだち)をぬけると、思(おも)わず目(め)の前(まえ)に大(おお)きな滝(たき)が現(あらわ)れます。JR豊肥線(ほうひせん)の軌道(きどう)の上(うえ)を越(こ)えるとすぐです。
 落差(らくさ)約(やく)80mと100mの2つに分(わ)かれ、夫婦滝(めおとだき)とも言(い)われます。あまりの落差(らくさ)に、渇水期(かっすいき)には、滝(たき)の下まで水流(すいりゅう)が落(お)ちずに途中(とちゅう)で霧(きり)もやとなって見(み)えなくなります。
 冬(ふゆ)の寒(さむ)い時期(じき)には、阿蘇谷(あそだに)から吹(ふ)く冷(つめ)たい風(かぜ)で滝全体(たきぜんたい)が凍(こお)り、迫力(はくりょく)ある氷瀑(ひょうばく)となります。この時期(じき)はライトアップされています。春先(はるさき)には、氷(こおり)が割(わ)れて落(お)ちる音(おと)が麓(ふもと)の集落(しゅうらく)まで響(ひび)いて、阿蘇(あそ)に春(はる)を告(つ)げる風物詩(ふうぶつし)となっているそうです。

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