白川情報館(じょうほうかん)

白川流域(りゅういき) 水防災(みずぼうさい)水環境(みずかんきょう) フォトラリー
上流域(じょうりゅういき) 阿蘇(あそ)カルデラ(ない) (へん)


 
          噴煙をあげる阿蘇中岳               航空機から見た阿蘇カルデラ(手前が東、奥が西)

 数々(かずかず)神話(しんわ)(のこ)神秘的(しんぴてき)阿蘇地方(あそちほう)
 阿蘇山(あそさん)活火山(かつかざん)です。阿蘇中岳(あそなかだけ)(いまも)(しろ)噴煙(ふんえん)をあげています。一般(いっぱん)人々(ひとびと)が、ヘルメットもかぶらず、火口(かこう)間近(まぢか)見学(けんがく)できるのは、ここだけです。
 (おお)きな爆発(ばくはつ)をくりかえし、(やく)9万年前(まんねんまえ)大爆発(だいばくはつ)現在(げんざい)のような(おお)きなカルデラができたのだそうです。その()、カルデラには(みず)がたまり、(みずうみ)ができたそうです。
(※カルデラ…スペイン()だそうで、日本語訳(にほんごやく)をすると『(なべ)』だとか…)
 立野火口瀬(たてのかこうせ)(くず)れて、(みずうみ)(みず)(なが)()し、また噴出(ふきだ)した溶岩(ようがん)でふさがれて(みずうみ)ができ、また(くず)れて(みず)(なが)()し、その()、また噴出(ふきだ)した溶岩(ようがん)でふさがれて(みずうみ)ができ、また(くず)れて・・・。何度(なんど)かそのようなことをくりかえしてきたことが()かってきたそうです。
 (みずうみ)(みず)()いた(あと)の、この世界的(せかいてき)巨大(きょだい)カルデラ(東西(とうざい)18㎞・南北(なんぼく)25㎞)の(なか)人々(ひとびと)()(はじ)め、人々(ひとびと)歴史(れきし)文化(ぶんか)風俗(ふうぞく)(きざ)()まれています。人々(ひとびと)(はる)(むか)える野焼(のや)きの(いとな)みによって、人々(ひとびと)歴史(れきし)より(ふる)大陸系(たいりくけい)植物(しょくぶつ)(いま)もなお(いのち)をつないでいます。
 (かわ)(みず)という視点(してん)で、白川上流域(しらかわじょうりゅういき)阿蘇(あそ)()かけてみられませんか。


凡例(はんれい)地名(ちめい)などを(あらわ)(らん)(つぎ)のように色分(いろわ)けしています。

水防災施設(みずぼうさいしせつ) 水源地(すいげんち)湧水地(ゆうすいち)  (たき)  太古(たいこ)(みずうみ)だったころの産物(さんぶつ) 

では、ご案内(あんない)いたしましょう。

 上色見(かみしきみ)熊野(くまの)(います)神社(じんじゃ)
(P有参道入口 トイレ参道途中有)
② 高森(たかもり)湧水(ゆうすい)トンネル公園(こうえん)
(P有 トイレ有) 
③ 白川水源(しらかわすいげん)(ほか)湧水群(ゆうすいぐん) 
(P有 トイレ有)
④ 塩井社水源(しおいしゃすいげん)塩井神社(しおいじんじゃ)
(P トイレ ) 



 高森町(たかもりまち)中心部(ちゅうしんぶ)より根子岳(ねこだけ)()える箱石峠(はこいしとうげ)()かう途中(とちゅう)上色見(かみしきみ)にあります。
 その()(とお)り、紀伊山地(きいさんち)熊野権現(くまのごんげん)分祀(ぶんし)です。神話(しんわ)イザナミ・イザナギの(みこと)(くわ)えて阿蘇大明神(あそだいみょうじん)化身(けしん)である石君(いわぎみ)大将軍(たいしょうぐん)祭神(さいじん)とする由緒(ゆいしょ)ある神社(じんじゃ)です。
 (もり)(こけ)(ふか)(みどり)におおわれた参道(さんどう)と、石段(いしだん)(りょう)(がわ)にある100()ほど(なら)灯篭(とうろう)には幽玄(ゆうげん)雰囲気(ふんいき)があります。
 神殿後方(しんでんこうほう)をさらに(のぼ)ると、阿蘇神(あそしん)健磐龍命(たけいわたつのみこと)従者(じゅうしゃ)鬼八(きはち)蹴破(けやぶ)ったと()われる縦横(たてよこ)10m以上(いじょう)大風穴(だいふうけつ)、穿戸岩(うげといわ)があります。
 近年(きんねん)は、パワースポットとして、また『合格(ごうかく)必勝(ひっしょう)』のご利益(りやく)があると評判(ひょうばん)になっています

 

 旧国鉄高森線(きゅうこくてつたかもりせん)宮崎県側(みやざきけんがわ)高千穂線(たかちほせん)(むす)工事(こうじ)が、昭和(しょうわ)48(1973)年12月から行われていて、昭和(しょうわ)50年2月、トンネル工事(こうじ)突然(とつぜん)大量(たいりょう)出水(しゅっすい)見舞(みま)われたそうです。その()何度(なんど)出水事故(しゅっすいじこ)発生(はっせい)して、トンネル工事(こうじ)中止(ちゅうし)となりました。
 トンネルの(なが)さは、2055mもあります。中央(ちゅうおう)に水路(すいろ)があり、両側(りょうがわ)には遊歩道(ゆうほどう)(つく)られています。常時(じょうじ)毎分(まいふん)32tの湧水(ゆうすい)()()しています。(いま)高森町(たかもりまち)貴重(きちょう)水源地(すいげんち)となっています。
 トンネル(ない)は、(なつ)(すず)しく、(ふゆ)(あたた)かいです。さまざまな行事(ぎょうじ)(おこな)われたり、(みず)(さか)さに(のぼ)っていくように()える仕掛(しか)噴水(ふんすい)「ウォーターパール」も(つく)られています。






 南阿蘇(みなみあそ)は、湧水(ゆうすい)豊富(ほうふ)です。その湧水(ゆうすい)代名詞(だいめいし)とも()える水源(すいげん)がこの『白川水源(しらかわすいげん)』です。
 常時(じょうじ)14()毎分(まいふん)60トンもの地下水(ちかすい)地底(ちてい)(すな)とともに()()がり、とうとうと(なが)れる水音(みずおと)が、木々(きぎ)(あいだ)(ひび)いています。昭和(しょうわ)61(1985)年に環境庁(かんきょうちょう)(げん)環境省(かんきょうしょう))の日本(にほん)の『名水百選(めいすいひゃくせん)』にも(えら)ばれました。
 以前(いぜん)はここが白川(しらかわ)源流(げんりゅう)だとかんがえられていました。
 この(みず)田畑(たはた)(うるお)し、豊穣(ほうじょう)(めぐ)みをもたらしています。
 水源地(すいげんち)にある白川吉見神社(しらかわよしみじんじゃ)は、阿蘇神社(あそじんじゃ)末社(まっしゃ)で、水源(すいげん)守護神(しゅごしん)として(まつ)られ、また水源(すいげん)のすぐほとりには水神様(すいじんさま)(まつ)られていて、地域(ちいき)氏神様(うじがみさま)として(した)しまれています。夏祭(なつまつ)りや神楽(かぐら)宮相撲(みやずもう)なども伝承(でんしょう)されています。
 南阿蘇村(みなみあそむら)には、白川水源(しらかわすいげん)から西(にし)へ、明神池名水公園(みょうじんいけめいすいこうえん)竹崎水源(たけざきすいげん)小池水源(おいけすいげん)吉田城御献上汲場(よしだじょうごけんじょうくみば)妙見神社(みょうけんじんじゃ)(いけ)(いけ)(かわ)水源(すいげん)川地後水源(かわじごすいげん)寺坂水源(てらさか)湧沢津水源(わきさわづすいげん)、そして塩井社水源(しおいしゃすいげん)と12カ(しょ)もの地域(ちいき)人々(ひとびと)(した)しまれてきた水源(すいげん)があります。





 塩井神社(しおいじんじゃ)境内(けいだい)に、(あお)(ふか)く、水底(みずぞこ)だけがゆらゆらとゆれる湧水池(ゆうすいち)があります。
 ここから(なが)()(みず)は、(ひがし)()かって(なが)れます。南阿蘇(みなみあそ)湧水(ゆうすい)ではただ(ひと)つだそうで、『のんぼり川』と()ばれるそうです。生活用水(せいかつようすい)農業用水(のうぎょうようすい)使(つか)われてきました。
 (つめ)たくほんのり(あま)さを(かん)じるようなやわらかい(くち)あたりから『女水(おんなみず)』と()ばれるほどで、不老長寿(ふろうちょうじゅ)神水(じんすい)(ふる)くから(とうと)ばれてきたそうです。
 ところが、平成(へいせい)28(2016)(ねん)熊本地震(くまもとじしん)により湧水(ゆうすい)()まってしまいました。
 水路(すいろ)干上(ひあ)がってしまい、近所(きんじょ)農家(のうか)(かた)()(みず)がひけず、米作(こめづく)りができなくなってしまいました。
 それから2(ねん)月日(つきひ)()ぎ、平成(へいせい)30(2018)(ねん)7(がつ)(ふたた)(みず)()()すようになり、復活(ふっかつ)しました。水位(すいい)(もと)のようにはもどっていないようですが、(あお)()(とお)ったやわらかい(みず)()()しているそうです。

 水源(すいげん)(よこ)には、水神様(すいじんさま)として塩井神社(しおいじんじゃ)(まつ)られています。熊本地震(くまもとじしん)鳥居(とりい)()れ、拝殿(はいでん)(くず)()ちてしまいました。
地域(ちいき)のみなさんにより大切(たいせつ)(まも)られています。



 久木野層(くぎのそう)
(湖があったことがわかる地層)
(Pなし トイレなし)
⑥ 鮎返(あゆがえ)りの(たき)
(現在行けません・阿蘇大橋から眺望を) 
⑦ 立野(たての)ダム 
(展望所P有 トイレなし)
⑧ 数鹿流ヶ滝(すがるがたき)
(P数鹿流崩れへ トイレなし ) 



 南阿蘇村(みなみあそむら)旧久木野村(きゅうくぎのむら)から旧長陽村立野(きゅうちょうようそんたての)にかけて、白川(しらかわ)冠出川沿(かんむりでがわぞ)いに()える地層(ちそう)です。
 この地層(ちそう)は、泥岩(でいがん)からできていて、『久木野層(くぎのそう)』と名付(なづ)けられています。(あつ)さが50mもあり、(みずうみ)(ぬま)でできる堆積物(たいせきぶつ)です。
 (やく)9万年前(まんねんまえ)巨大(きょだい)阿蘇(あそ)カルデラができた直後(ちょくご)にたまった(みず)による堆積物(たいせきぶつ)ではなく、一度(いちど)立野(たての)火口瀬(かこうせ)(ひら)き、その()阿蘇五岳(あそごがく)のどこか(ちか)くから(なが)()溶岩(ようがん)によってせき()められて(みずうみ)ができ、そのころにできた地層(ちそう)だと(かんが)えられています。
このせき()めた溶岩(ようがん)は、栃ノ木溶岩(とちのきようがん)(約7万3千年前)と立野溶岩(たてのようがん)だと(かんが)えられています。地層(ちそう)(かさ)なり具合(ぐあい)からそう(かんが)えられるそうです。
 立野溶岩(たてのようがん)柱状節理(ちゅうじょうせつり)溶岩(ようがん)()えて(かた)まるときにできる柱状(はしらじょう)()())は、長陽大橋(ちょうようおおはし)(わた)(さい)眼下(がんか)にみえています。また、立野(たての)ダムが完成(かんせい)すると、みごとな柱状節理(ちゅうじょうせつり)のすぐ(ちか)くまでいって観察(かんさつ)することができるそうです。(あつ)さ80~100mもあります。
立野溶岩の柱状節理




 
 立野(たての)から長陽大橋(ちょうようおおはし)()ぎて南阿蘇(みなみあそ)(はい)ろうとすると、白川本流(しらかわほんりゅう)唯一(ゆいいつ)(たき)、『鮎返(あゆがえ)りの(たき)』がちらっと()えます。落差(らくさ)40mもある(たき)です。
 熊本地震(くまもとじしん)により道路(どうろ)がこわれているため、まだ(たき)つぼ(ちか)くへ()りることができません。戸下温泉(としたおんせん)営業(えいぎょう)されていたころは、(たき)のすぐ(ちか)くまでおりて(たき)見上(みあ)げることができました。
 これから上流(じょうりゅう)へはさすがの(あゆ)(のぼ)れなくて()(かえ)したという()(つた)えから名前(なまえ)がついたと()われています。
 この(たき)は、溶岩(ようがん)(うえ)から(みず)()ちてきます。この溶岩(ようがん)は、『鮎返(あゆがえ)りの(たき)溶岩(ようがん)』と名付(なづ)けられていて、(やく)9万年前(まんねんまえ)巨大噴火(きょだいふんか)のあとできたカルデラの中央(ちゅうおう)に、(いま)中岳(なかだけ)高岳(たかだけ)のような火山(かざん)がせりあがってきた(とき)活動(かつどう)による溶岩(ようがん)だそうで、巨大(きょだい)カルデラができた(あと)のもっとも(ふる)溶岩(ようがん)だと(かんが)えられているそうです。白川(しらかわ)の流れのおかげでこのような溶岩(ようがん)姿(すがた)をみることができます。
 鮎返(あゆがえ)りの(たき)鮎帰(あゆかえ)りの(たき)という名前(なまえ)(たき)が、長崎県南島原市(ながさきけんみなみしまばらし)福岡県糟屋郡宇美町(ふくおかけんかすやぐんうみちょう)鳥取県(とっとりけん)香川県(かがわけん)にもあるようです。







 立野(たての)ダムは、白川沿川(しらかわえんせん)洪水被害(こうずいひがい)(ふせ)ぐことを目的(もくてき)とした洪水調整専用(こうずいちょうせいせんよう)ダム(流水型(りゅうすいがた)ダム)です。(※流水型ダム…洪水調節(こうずいちょうせつ)のみを目的(もくてき)とするダムで、現在(げんざい)白川(しらかわ)水位(すいい)とほぼ(おな)(たか)さに(みず)(とお)(あな)があり、大雨(おおあめ)(とき)だけ(みず)をためます。)
 ()った(あめ)白川(しらかわ)(なが)()面積(めんせき)のなんと(やく)80%が阿蘇(あそ)カルデラ(ない)がしめています。また阿蘇地方(あそちほう)降水量(こうすいりょう)は、年間(ねんかん)(やく)3,300mmで全国平均(ぜんこくへいきん)の2倍以上(ばいいじょう)です。白川(しらかわ)大雨(おおあめ)によりたびたび洪水被害(こうずいひがい)()しています。立野(たての)より下流(かりゅう)地域(ちいき)人々(ひとびと)(いのち)財産(ざいさん)(まも)るために立野(たての)ダムは建設中(けんせつちゅう)です。本体工事(ほんたいこうじ)(はじ)まり、2022年度中(ねんどちゅう)完成予定(かんせいよてい)です。
 ダム建設現場(けんせつげんば)阿蘇国立公園内(あそこくりつこうえんない)ということもあり、景観(けいかん)環境(かんきょう)配慮(はいりょ)した工事(こうじ)(おこな)っています。ダムサイトにはもともと立野(たての)()えていた植物(しょくぶつ)(たね)幼木(ようぼく)(そだ)てて植樹(しょくじゅ)したり、環境調査(かんきょうちょうさ)随時実施(ずいじじっし)したり、柱状節理(ちゅうじょうせつり)露頭(ろとう)をそのまま(のこ)したり、工事(こうじ)使(つか)建設機械(けんせつきかい)燃料(ねんりょう)一部(いちぶ)には家庭(かてい)から()廃食用油(はいしょくようあぶら)回収(かいしゅう)して(つく)られたバイオディーゼル燃料(ねんりょう)使(つか)ったりしています。
 また、南阿蘇(みなみあそ)自然環境(しぜんかんきょう)連動(れんどう)させたインフラツアーの開発(かいはつ)や、阿蘇(あそ)ジオパーク推進協議会(すいしんきょうぎかい)連携(れんけい)したガイドの育成(いくせい)南阿蘇鉄道(みなみあそてつどう)沿線復興(えんせんふっこう)ツアーなどに()()み、ダム完成後(かんせいご)柱状節理(ちゅうじょうせつり)噴出年代(ふんしゅつねんだい)(こと)なる溶岩(ようがん)間近(まぢか)観察(かんさつ)できるようになります。

 旧立野小学校(きゅうたてのしょうがっこう)には、「あそ立野(たての)ダム広報室(こうほうしつ)」もオープンして、ダムの模型(もけい)やVRやその(ほか)展示物(てんじぶつ)など整備(せいび)されていますので、是非(ぜひ)()()りください。またすぐ(ちか)くに立野渓谷(たてのけいこく)南阿蘇鉄道(みなみあそてつどう)鉄橋(てっきょう)北向谷原始林(きたむきだにげんしりん)とを背景(はいけい)写真(しゃしん)()れる立野(たての)ダム展望所(てんぼうしょ)もあります。




         20年前の数鹿流ヶ滝

 阿蘇谷側(あそだにがわ)をゆったり(なが)れてきた黒川(くろかわ)は、赤水(あかみず)()ぎたあたりから、(きゅう)こう(ばい)一気(いっき)にくだってきます。そしてこの数鹿流ヶ滝(すがるがたき)からどっと()ち、長陽大橋(ちょうようおおはし)(した)白川(しらかわ)合流(ごうりゅう)します。
 数鹿流ヶ滝(すがるがたき)は、落差(らくさ)60m、(はば)20mあり、日本(にっぽん)(たき)百選(ひゃくせん)にも(えら)ばれています。
 名前(なまえ)由来(ゆらい)については諸説(しょせつ)あるようですが、平安時代(へいあんじだい)(はる)阿蘇大宮司(あそだいぐうじ)主催(しゅさい)で、下野(しもの)現在(げんざい)赤水一帯(あかみずいったい))にたくさんの人々(ひとびと)があつまって、日本最古(にほんさいこ)()われる巻狩(まきが)りが(おこな)われていたそうです。
源頼朝(みなもとのよりとも)鎌倉(かまくら)幕府(ばくふ)(ひら)き、富士野(ふじの)巻狩(まきが)りをする(さい)にこの阿蘇(あそ)巻狩(まきが)りへ(ひと)派遣(はけん)して(まな)ばせたそうな…)その(さい)数頭(すうとう)鹿(しか)断崖(だんがい)においつめられて滑落(かつらく)したことから、『数鹿流ヶ滝(すがるがたき)』と名付(なづ)けられたというのが有力(ゆうりょく)です。
 熊本地震前(くまもとじしんまえ)阿蘇大橋(あそおおはし)南阿蘇方面(みなみあそほうめん)(わた)(さい)にきれいに()えていましたが、土砂(どしゃ)木々(きぎ)などにも邪魔(じゃま)されて()ることができません。また、滝見学通路(たきけんがくつうろ)(いま)はまだ交通止(こうつうど)めが(つづ)いています。地震(じしん)崩落(ほうらく)した現場(げんば)整備(せいび)され、(おお)きな駐車場(ちゅうしゃじょう)もできましたので、滝見学通路(たきけんがくつうろ)整備(せいび)されればまた雄姿(ゆうし)をみることができるでしょう。
 (うえ)(たき)写真(しゃしん)は、白川地域防災(しらかわちいきぼうさい)センター(通称(つうしょう)白川(しらかわ)わくわくランド)が完成(かんせい)した(とき)展示(てんじ)された写真(しゃしん)です。


 熊本地震で崩落した現場は整備されて記念碑が立っています。



 ⑨ 的石御茶屋跡(まといしおちゃやあと)隼鷹神社(はやたかじんじゃ)
(P有 トイレ有)
⑩ リモナイト鉱山(こうざん)
(P有 トイレ有 見学許可要) 
⑪ 内牧遊水地(うちのまきゆうすいち) 
(P有 トイレ有)
⑫ 小嵐山堰(しょうらんざんせき)
(P有 トイレ小嵐山公園 ) 



 豊後街道(ぶんごかいどう)が整備され、熊本から約8里(約32㎞)の場所にあります。このあたりの地名は、的石(まといし)といいます。殿様の参勤交代の折の休憩所(御茶屋)もありました。
 隼鷹天満宮の回りでは地下から水がこんこんと湧き出ています。大分方面へ向かう人々は、難所である二重峠を下りてやっとホッとし、熊本へ向かう人々はこれから難所へ向かう前に清涼水を求めたことでしょう。



         掘り出される「阿蘇黄土」

      鉄分の沈殿により川底が黄土色になる

 阿蘇町(あそまち)萱原(かやばる)付近に『日本リモナイト鉱業』があります。ここは大昔、阿蘇谷が湖だったころに湖の底にたまった沼鉄鉱を掘り出している鉱山です。「阿蘇黄土(あそおうど)」と呼ばれる鉄分(褐鉄鉱:リモナイト)が多く含まれる地層があります。地下から湧き出した鉄分を含む熱水や温泉水が、カルデラが湖だった時代の水とまじることによって沈殿したと考えられています。現在も自然に生まれ続けているのだそうです。
 先の太平洋戦争の頃には製鉄のための鉱石として、その後は、塗料やベンガラ、陶器の釉薬などに使われて需要が高かったそうです。
 現在は、脱硫剤(硫化水素を吸収してにおいを消す)として、下水処理場や畜産関係に広く利用されています。東京都の下水処理場に使用される脱硫剤は100%、ここのリモナイトだそうです。有機物を含むので、畜産用飼料にもなるのだそうです。おまけに糞もにおわないので一石二鳥です。



     芝生公園の先に乗り越し提が見える

       たまった水を黒川へもどす樋門

 阿蘇地方を襲った1990(平成2)年の大水害から水害対策として整備されました。
 通常は、公園として使われています。広大な芝生広場ではサッカーやさんぽを楽しむことができますし、大きなイベントが近くであるときには駐車場としても使用されます。黒川右岸の乗り越し提ととんがり屋根の大きな樋門(ひもん)が見えています。
 また、阿蘇草原保全活動センター(環境省)側の遊水池は、水生動植物の宝庫となり、野鳥の群れもやってきて、生物多様性など自然観察・環境学習の場にもなっています。またこの豊かな自然は世界農業遺産の認定要素にもなっています。




 黒川に作られた小嵐山堰は熊本県が管理しています。小嵐山というのは、この堰のすぐ北側にある小高い丘の名前で、阿蘇大宮司惟治が「月花にあわれ嵯峨野の面影をうつすやここの小嵐の山」と歌を詠み、京都の嵐山に山の姿がにているところから名付けられたそうです。堰の横にかかる橋も木橋だったので、雰囲気はとても似ていたと思います。
 このあたりの黒川は、鹿漬川(しつけがわ)と呼ばれていました。阿蘇大宮司(あそだいぐうじ)は、下野(しもの)巻狩(まきが)りで獲れた鹿や猪の肉をこのあたりの黒川の水に漬け込み血抜きをして、国造神社(こくぞうじんじゃ)鯰社(なまずしゃ)へ奉納する習わしがあったのだそうです。
 すぐ近くには阿蘇家代々の中通古墳群(なかどおりこふんぐん)があります。
 ここの堰のはじまりは、加藤清正公が鹿漬堰(しつけぜき)を作り、小野田井手(おのだいで)(1596~1614年)を開削(かいさく)して阿蘇谷の治水利水を図ったところでもあります。
 京都の嵐山に似た景色と、生贄(いけにえ)としての肉を漬けた川と清正公の治水利水工事、様々な姿をもった場所です。



 ⑬  小倉(おぐら)手野遊水地(てのゆうすいち)
(Pなし トイレなし・国造神社へ)
⑭ 国造神社(こくぞうじんじゃ)鯰社(なまずしゃ)
(P有 トイレ有) 
⑮ 役犬原湧水群(やくいんばるゆうすいぐん) 
(P有 トイレなし)
⑯ 阿蘇神社(あそじんじゃ)宮地湧水群(みやじゆうすいぐん)
(P有 トイレ有 ) 

         小倉遊水地

            手野遊水地

 度重(たびかさ)なる黒川(くろかわ)水害被害(すいがいひがい)により、黒川(くろかわ)整備計画(せいびけいかく)が立てられました。黒川遊水地群(くろかわゆうすいちぐん)()ばれる、車帰(くるまがえり)無田(むた)跡ヶ瀬(あとがせ)小野(この)内牧(うちのまき)小倉(おぐら)手野(ての)の7カ(しょ)に、増水時(ぞうすいじ)(みず)をためる遊水地(ゆうすいち)です。
2012年の九州北部豪雨災害(きゅうしゅうほくぶごううさいがい)(あと)は、(くに)激甚災害対策特別緊急事業(げきじんさいがいたいさくとくべつきんきゅうじぎょう)にも採択(さいたく)されて、工事(こうじ)(すす)みました。
 この(なか)で、最大(さいだい)遊水地(ゆうすいち)小倉遊水地(おぐらゆうすいち)で、88haもあり、(みず)を265(まん)(りっぽうめーとる)ためることができます。いざという(おり)には、水田(すいでん)()りて(みず)をためられるよう、水田(すいでん)をぐるっと堤防(ていぼう)(かこ)んであります。
 手野遊水地(てのゆうすいち)は65haあります。

 遊水地(ゆうすいち)(ちか)くでは、輪中堤(わじゅうてい)嵩上(かさあ)げ、宅地(たくち)嵩上(かさあ)げ、黒川(くろかわ)とその支流(しりゅう)堤防(ていぼう)嵩上(かさあ)げと道路(どうろ)嵩上(かさあ)げが(おこな)われて、水害被害(すいがいひがい)防止(ぼうし)(つと)めています。また黒川(くろかわ)断面積(だんめんせき)(ひろ)げ、石積(いしづ)みにする改修工事(かいしゅうこうじ)(すす)んでいます。
 近年(きんねん)は、豪雨(ごうう)()えていて、整備(せいび)計画(けいかく)変更(へんこう)されて、各遊水地(かくゆうすいち)面積(めんせき)()やして水害(すいがい)(ふせ)努力(どりょく)がされています。
 その(ほか)(いち)宮町(みやまち)坂梨(さかなし)には、流木(りゅうぼく)(ふせ)貯木場(ちょぼくじょう)(つく)られています。また(あら)たに黒川遊水地(くろかわゆうすいち)が40ha増設(ぞうせつ)されています。

  


           国造神社の参道

          ナマズが祀ってある鯰社
 国造神社(こくぞうじんじゃ)がある手野集落(てのしゅうらく)は、阿蘇の中でも特に水に恵まれた地域で、近くには『手野の名水』や『宮川渓谷(みやがわけいこく)』などがあります。
 国造神社(こくぞうじんじゃ)は、熊本でも古い神社の一つで、阿蘇神社の北に位置するため『北宮』とも呼ばれます。阿蘇の開拓神(かいたくしん)健磐龍命(たけいわたつのみこと)の第一子である
速瓶玉命(はやみかたまのみこと)他が祭られています。阿蘇の開拓に尽くし、牛馬を育て田畑に水を引き、農業を起こしたと伝えられており、農業の神様、五穀豊穣の神様として信仰されています。
 境内には、手野の大杉とともに、鯰を祭った社があり、健磐龍命の阿蘇開拓時の大鯰伝説とともに皮膚炎の神様として祭られています。
 阿蘇神社の春の下野の狩りで獲れたものを阿蘇大宮司が献上していたそうです。





 阿蘇五岳(あそごがく)東部外輪山(とうぶがいりんざん)内側(うちがわ)()った(あめ)涵養(かんよう)されて、いたるところで地下水(ちかすい)地表(ちひょう)より(たか)くまで()()がる湧水(ゆうすい)自噴水(じふんすい))がみられます。地下深(ちかふか)くまで浸透(しんとう)し、圧力(あつりょく)(たか)地下水(ちかすい)として()()しています。自噴水(じふんすい)(たか)さは最大(さいだい)2mにもなり、地元(じもと)では(ふる)くから、生活用水(せいかつようすい)農業用水(のうぎょうようすい)として利用(りよう)されています。


 『役犬原(やくいんばる)』というめずらしい地名(ちめい)ですが、古来(こらい)から阿蘇地方(あそちほう)武家(ぶけ)頭領(とうりょう)である阿蘇大宮司(あそだいぐうじ)(はる)下野(しもの)(現在の赤水一帯)巻狩(まきが)りを代々(だいだい)(おこな)ってきたそうですが、その巻狩(まきが)りに活躍(かつやく)する(いぬ)たちの飼育(しいく)担当(たんとう)している(ひと)たちが()んでいた場所(ばしょ)だったことから、こういう地名(ちめい)になったらしいです。



 阿蘇神社は肥後一の宮として大切にされています。末社は県内に300社を超えています。阿蘇開拓の神健磐龍命(たけいわたつのみこと)を主神として12神が祭られています。阿蘇神社の信仰はもともと阿蘇中岳の火口の池に思いを寄せていたそうです。この場所に神社が移った時期ははっきりしません。
 社殿並びに2層の屋根をもつ楼門(ろうもん)は国重要文化財でしたが、平成28年熊本地震により倒壊しました。現在復元工事が行われています。
 阿蘇神社の周辺は、宮地湧水群(みやじゆうすいぐん)として水の豊かなところです。阿蘇五岳に降った雨が地下へしみこみ、このあたりで湧き出ています。農業を行うのに水に困ることはなかったでしょう。現在、神社の門前町商店街では湧水を『水基(みずき)めぐり』と呼んで街づくりに活用され、観光地として人々に親しまれています。



⑰ 古閑(こが)(たき)
(P有 トイレ登り口に有) 

  
 駐車場(ちゅうしゃじょう)から(ある)いて木立(こだち)をぬけると、(おも)わず()(まえ)(おお)きな(たき)(あらわ)れます。JR豊肥線(ほうひせん)軌道(きどう)(うえ)()えるとすぐです。
 落差(らくさ)(やく)80mと100mの2つに()かれ、夫婦滝(めおとだき)とも()われます。あまりの落差(らくさ)に、渇水期(かっすいき)には、(たき)の下まで水流(すいりゅう)()ちずに途中(とちゅう)(きり)もやとなって()えなくなります。
 (ふゆ)(さむ)時期(じき)には、阿蘇谷(あそだに)から()(つめ)たい(かぜ)滝全体(たきぜんたい)(こお)り、迫力(はくりょく)ある氷瀑(ひょうばく)となります。この時期(じき)はライトアップされています。春先(はるさき)には、(こおり)()れて()ちる(おと)(ふもと)集落(しゅうらく)まで(ひび)いて、阿蘇(あそ)(はる)()げる風物詩(ふうぶつし)となっているそうです。

フォトラリートップへ  ページトップへ    ホームへ