【令和6年度 第10回白川わくわくランド 寺子屋】
『河川と海との歴史を調べよう
~清正公の利水と治水、小島や高瀬の港と横島干拓~』
参加者募集中!
11月10日(日)
荒天等での延期日:11月24日(日)
白川は、根子岳山麓を源流とし、数々の神話や阿蘇の風習や文化を育んで阿蘇谷や南郷谷を悠々と流れ、阿蘇カルデラを出て、大津町・西原村・菊陽町・熊本市を流れ下り、有明海(島原湾)へと注ぎます。
有明海へ注ぐ河川たちは、有明海に日本一の広大な干潟を作り出し、たくさんの生物を育んでいます。
今回は、河川河口部に作られた港跡や、広大な干潟を新田へ開発してきた人々の歴史に焦点をあてて、流域で暮らす人々の水との闘いや水の利用に視点をあてた学習を計画いたしました。
白川の河口部には、「小島」の港が、菊池川の河口部には「高瀬」の港がそれぞれ建設され、肥後米の搬出やその他の物や人々の往来があり、にぎわったそうです。
白川と緑川とで作った広大な干潟は、時代とともに干拓され、灌漑されて、新しい田畑として生まれ変わってきました。菊池川下流の横島辺りもそうです。
横島には、菊池川を付替えて、旧菊池川(現唐人川)が流れていた横島の外平山と久島山の間に潮止めを行い、新たな新地を作った(1589~1602年)のは、加藤清正公です。大変な難工事だったそうで、「人柱」まで立てられたのだそうです。この干拓事業は、加藤家から細川家へと引き継がれ、明治以降も大々的に干拓が行われました。太平洋戦争後は、食糧増産を目的として国営事業で干拓が行われています。時代とともに沖へと築かれていった潮受け堤防や排水樋門が残されていますので、それらを見学いたします。
港跡は、小島と高瀬を訪問いたします。
清正公の時代から現在にいたるまでの治水工事や利水工事、物流を支える石橋や港跡など、河川の果たす役割と人々の苦労や工夫を考えます。どうぞふるってご参加ください。
貸切バス(マイクロバス)での移動新型コロナウイルス感染症拡大防止対策を講じて開催いたします。参加される方は、 車内でのマスク着用、検温・消毒等にご協力ください。
昼食会場は、天水町公民館会議室をお借りしています。ご持参されても結構ですし、お申込時にお弁当のメニューからお申し付けくださっても結構です。
参加を希望の方は、お電話かファックス・E-mailにてご連絡ください。お待ちしています。
コロナウィルス感染症対策のため、車内ではマスク着用の上ご参加くださいますようお願いいたします。。